イラスト・柊のぞむ様
カツカツカツ……硬い足音が慌しく近付いてきて、私は近くの植え込みに身を隠した。
キー、バタンっ!
今日何度も聞いた音が響き、何やら焦ったような声が窓から漏れてくる。
キー、バタンっ!
カツカツカツ……再び足音が近付き、別の足音が混じり、また声が響く。
カツカツカツ、パタパタパタ……
足音がどんどん増えていく。
さっきまで誰も姿を見せなかったのに、急に夢から覚めたよう。
そう、私も夢から覚めたんだ。
もう帰ろう。
私は植え込みから抜け出すと、出口を目指した。
「あー! さんっ! こんな所にいたのっ!?」
さっきから一番テンション高く響いていた声が私を止めた。
私は咄嗟に走り出す。
が、さんはパンプスの音を信じられない速さで響かせて私の腕をつかんだ。
「静流さーん! さんゲットだぜ! 今連れてく!」
大きな声でどこかに向かって叫ぶと、向こうの建物で窓がパタンとしまった。
彼女は私をにっこりと覗き込んだ。
「さん、ちょっとこっち……さん、泣いてるのっ!?」
あまりのハイテンションに、こちらの調子が狂って何もいえない。
「飛影ね? 飛影でしょ!?
くっそうあの三白眼、私の可愛いさんを!!
ごめんねごめんね。外に追い出されちゃうなんて寒かったでしょ。
ココア入れてあげるね~」
彼女は一方的に喋りながら私をぐいぐいと引っ張る。
さんって……もしかしてすごい役者かも……
私は恨み言ひとつ言えず、ただ引きずられるように先ほどの建物に連れて行かれた。
階段を上った先の部屋に通されると、煙草の匂いがした。
「静流さん、お願い!」
窓際にいたロングヘアの女性が振り向く。
「さんは?」
「温かいもん取ってくる!」
さんは慌しくドアを閉め、再びカツカツと階段を降りて行く。
「迷子になっちゃったんだって?」
静流さんは灰皿に煙草を擦り付けながら静かに笑った。
「ちょっとこっち来て」
煙が消えると、彼女は私を振り返らずに奥の部屋に入り、クローゼットのドアを開けた。
私はもたもたと追う。
「この中から好きなの選んで着替えて。
終わったら髪を結ってあげるから」
「……え? 何で?」
私はようやく声を出した。
静流さんは首を傾げて眉を上げた。
「道場の修業の最後の仕上げ……とか何とか聞いてるけど」
もう修行なんて関係ないです。
言おうとしたけれど、何だか面倒くさくて、私は静流さんと場所を換わった。
「可愛い!」
着替えを終えてもとの部屋に戻ると、さんも帰ってきていた。
ふたりして煙草を吸っていたようで、部屋に霞が掛かっている。
私が口元を押さえると、さんは驚いたように立ち上がった。
「ごめん! くさい? 静流さん窓開けて!」
「えー、寒いじゃない……」
「はいはい、ココア持ってさんとあっちの部屋行ってて」
いいながらばっさばっさとクッションを振り回す。
静流さんに背中を押され、ドアが閉じるまでそんなさんを私は見つめた。
ちょっと胸が痛い。
普段だったら煙草の匂いだろうとお酒の匂いだろうと、あんなに露骨に嫌な顔はしない。
「はい」
静流さんにココアを渡され、私は近くの椅子に掛けた。
「やっぱりそれを選んだね」
頬杖を突いて静流さんは私のワンピースを眺めた。
「さん、最初それだけ持ってきたんだよ。
でも選択肢があったほうがいいんじゃないかって、これだけ準備したの」
ワンピースというよりはドレスなのかもしれない。
ふんわりとしたシルエットにたっぷりのフリルとギャザーとレースが施されている。
「これが一番可愛いって……ちゃんに似合うってさ」
隣の部屋からはまだ慌しい音が聞こえてくる。
「人に親切にするのって、どうしてですか?」
「え?」
私の唐突の質問に、静流さんはちょっと面食らったみたいだった。
でも、すぐにいつもの表情で窓の外を見た。
「仲良くしたいからじゃない?」
「例えば、罪滅ぼしに優しくするんだったら、それって嫌われたくないから?」
静流さんは何気なく煙草の箱を取り出して、思い出したようにしまった。
「じゃあ何で嫌われたくないか」
彼女は真っ直ぐに私を見て微笑んだ。
「……それは、わがままです」
「そのわがままが許せなければ、そもそもそれは親切じゃないんじゃない?
……ケンカでもした? そうは見えなかったけど」
今度は向こうから聞いてくる。
私は黙って首を振る。
「飲んだら? あったまるよ」
それきり、こちらの部屋は沈黙に沈んだ。
いつになく真剣な顔でさんは私の顔を見つめている。
カラフルなパレットと私の顔の間と、ブラシを往復させながら。
柔らかなブラシが優しく頬や目元をくすぐる。
さんがパレットを替えるたび、鏡の中の私が華やかになっていく。
パフを引っ掛けたてのひらが近付いたり離れたり。
お化粧品とさんの香水が混ざって、やけに大人っぽい匂いがした。
逆の手にはまるで何かを隠すように包帯が巻かれている。
さん、いつもこんなお化粧してるのかな。
普段はなかなかじっと見られない彼女の顔を見る。
アイ・ブロウを引いているときは自分の眉毛をピクピク動かす。
ルージュをひいているときは、せっかく自分も塗っているのに唇をしきりに舐めている。
子供みたいだと思った。
でも、お化粧の仕方とか、お洋服とか、やっぱり年上だなとも思う。
「よっしゃ! 姫完成! どう?」
さんは私の後ろに移動して、肩に手を置いて私と一緒に鏡を覗いた。
「なんか、私じゃないみたい」
「可愛いですさん~」
さんはうきうきしたようすで鏡の中の私に微笑みかける。
その表情には翳りも何もなく、私には何もわからなかった。
表情が暗いのに気付いたのか、さんは慌てて私の前に回る。
「もしかしてあんまりこういうメイク好きじゃなかった?
雰囲気ならまだいくらでも変えられるよ?
もうちょっと華やかな方がいい? それとも落ち着かせる?」
ここまで無邪気に来られると、責める気もそがれる。
鏡の中に映り込んださんと私。
ピンク系でまとめられた私のメイクと、ブラウン系のさんのメイク。
雰囲気は正反対なのに、同じ手によって作られたせいか、姉妹みたいにも見えた。
蔵馬は、どっちの色が好きなのかな。
私を見ているさんの目は、何だか羨ましそうにも見えて……
だけど私は、ポツリと呟いた。
「さん、香水持ってる?」
「うん? あるよ?」
さんはちょっと不思議な顔をして、メイクボックスの一番下の段を開いた。
そこには宝石みたいなミニチュアの香水がいっぱい詰め込まれていた。
「もう私ってば香水マニアでさ~。
今日のさんだったらこれが似合うかも」
さんはひとつ抜き出すと、蓋を取って私に嗅がせてくれる。
お菓子みたいな甘くて可愛い香り。
確かにこのドレスとメイクにピッタリだと思った。
「さんと同じのがいい」
「……え? これがいいの?」
さんは私の顔の前に手首を近付ける。
ふんわりとあたたかい、パウダーみたいな香り。
「これがいい」
さんはメイクボックスでなく、自分のハンドバッグから瓶を出す。
シンプルな立方体の、透明なガラスの容器に入ったコロン。
シュッと吹きかけると、さっき嗅いだのとは違って、妙にきつく感じた。
「あー、これね、最初はちょっと濃ゆいのよー。えいえい」
パタパタと扇いでファースト・ノートを飛ばしてくれる。
「でもね、だんだん優しい匂いになるの。
……ホワイトローズの香り」
「……白い、薔薇?」
私は思わず聞き返す。
「さんの見せてくれる夢に似ていて気に入ってる。
……ちょっとメイク大人っぽくしようか」
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The other side of act.6
20061230