■16:41 会場玄関
思いつく限りのところを駆けずり回った蔵馬は再びここに戻ってきた。
だいたいあの人は3歩歩いたら忘れる鳥頭だ。
もうとっくに立ち直って、結婚式場のウエディングケーキでも盗んで帰ってきているだろう。
……と、玄関にスーパーの袋を大量にぶら下げてフラフラしているを見つける。
蔵馬は驚いて近付いた。
「……さん?」
ひぃぃ!
幽霊でも見たような悲鳴を上げては荷物をドサッと放り投げて口元を覆った。
普段どおりのその反応に、蔵馬はようやく緊張が解けた。
「……さん、今度は何をしてくれたんですか?」
「いやあれはちょっとちょびっと失敗して……」
「あなたのせいでこっちはどれだけ……」
カタカタと震えながら真っ青になるを見て、こってりとイヤミを浴びせたくなる。
……しかし時間がないな。
蔵馬は小さく息をつくと、思わずつかんだ肩を放して苦く笑った。
「とりあえず手伝ってください」
■16:44 キッチン(別間)
蔵馬は先ほどのスーパーの袋の中身を見てがっかりとうなだれる。
カステラ、ホットケーキミックス、ゼリーの素、果てはポッキーやらチョコレート菓子やら。
……いったい何をするつもりだったんだ、この人は。
そんな蔵馬の隣で、は両手を握り合わせて高い声で叫んだ。
「スポンジ……焼いてくれたの? 蔵馬」
「ええ、だからあとはデコレーションだけなんですよ」
心の中で大暴れしている小言の嵐をぐっとこらえ、蔵馬はつとめて穏やかに微笑んだ。
その様子に安心したのだろうか、はホッと大きく息をもらしてジャケットを脱ぐ。
「いったい何だったんですか、あの書置きは。
わけがわからないというか逆に深読みして皆混乱していましたよ」
カランをひねりながら、はのんびりと答える。
「いやあ、ちょっとは和むかなって思って」
……まったく、こっちは大騒ぎだったと言うのに……。
おまけにキャラ○ルコーン……。
つい、嵐の一部が息と一緒に外に飛び出す。
「どうして失敗したら失敗したと言ってくれなかったんですか。
ただでさえ時間がなかったのに買い物したりして二度手間でしたよ」
ここまで振り回されて、なおこんな嘘をついて気を遣う自分が笑えるな。
蔵馬は疲れた気分で苦笑いした。
は真剣な顔で砂糖を測りながら口を開く。
「いや相手が蔵馬なだけに恐怖で頭がおかしくなりそうで」
「は?」
お互い大いに裏の意味を含んだ笑顔を突き合わせる。
「まあそりゃ冗談だけど……
さんの誕生日を台無しにしちゃったというのがショックでショックで……
わたしいつもさんに色々してもらっているでしょう?
なのにいざお祝いする方に回ったら何にもできなくて、情けなくて……
っていうか自分に腹が立ってなんか投げやりになっちゃう気持ちわかる?」
は冗談めかして早口にまくし立てた。
ポイポイとミキサーにフルーツが放り込まれる。
わかるよ。オレもたまにそんな気持ちに苛まれる。
だが、蔵馬はいかにも呆れたというように大きくため息をついてこめかみを押さえてみせた。
「だからってそのまんま逃げないで下さい」
何故かあなたには、共感を素直に伝えることを、激しく拒まれている気がするよ。
……そう、たまにそういう抵抗を感じる。
そっちからオレを呼びつけておいて壁を作るって、あなたはいったい何がしたいんだ。
「……ところでさっきに会ったんですが」
の腹を探ろうという不毛な行為に飽きたのか、蔵馬は話題を変えた。
蔵馬が魔界から持ってきた果物を物珍しそうに嗅いでいたは、思い出したように振り返る。
「そうそう! あのねあのね、黒蔵馬道場のね、道場破りに来てるのよ」
「そりゃまたタイミングよく」
……だからと言って機嫌が直ったわけじゃない。
蔵馬が素っ気無く答えると、も知らん顔で鍋をかき混ぜた。
「とりあえず飛影にまかせたの」
「無謀な人だなあなたも……って、火傷しますよ! それ」
「うわちゃっ!」
必死で平静を装っていたものだから、手が留守になってしまったらしい。
振り向くとき、ついお玉まで平行移動してしまって、手の甲にシロップがびしゃりとこぼれた。
蔵馬はため息をついて、グイッと蛇口の下にその手を引っ張り、勢いよく水を流した。
さすがに多少は気の毒にも思えてくる。
「……飛影がの相手をねぇ」
冷凍庫から氷を出し、ビニールに入れながら、精一杯の譲歩を呟く。
それを受け取ったはニヤッと笑った。
「妬いてんの?」
「いや、むしろどんな会話しているのかと想像すると笑える」
は再びガス台の前に戻ると、お玉を取って少し振り向いた。
「あんたは余裕ねぇ。
私は飛影がさんにケガでもさせてないかって心配で心配でハゲそうよ。
優しい子だからぎりぎりまで合わせてくれるでしょ?」
……誘導尋問のつもりか? すっかり優位気取りだな。
蔵馬は眉をひそめて、すぐに鍋に向かった横顔を睨む。
自分は本音を話さずに、人にだけ話させようと……この人がそこまで考えるわけないな。
蔵馬はストンとイチゴのヘタを落とす。
「そんなにのことが気がかり?」
「そりゃ当たり前でしょう……」
まさかこの会話をが聞いているとは、ふたりとも考えてもいなかった。
この微妙な距離感と緊張感と、そんなものにばかり目をとられていた。
「人が悪いな。
に秘密にしておけと言ったのはあなたでしょう」
「そうだけど……」
仲間と出会って以来、頼んでもいないのにぐいぐいと距離を縮められ、壁をはらわれた。
だんだん近付いていくのが当たり前、という考えに傾いたところでが壁を作る。
それに気付いた蔵馬が一歩下がると、なぜか向こうから一歩近付く。
強引に向こうの望む距離を守らされているのが気に入らないのかもしれない。
「このままじゃ彼女にバレるのも時間の問題かな」
だから主導権を握りたくなるのだ、と蔵馬は思った。
彼の予想通り、は何とも情けない顔でべそをかく。
「まあ、確かにオレだって心配ですよ。
時間も掛かりすぎているし、もしかしたら気付いているかもしれない。
こちらの態度を不審に思われたら、却って傷付けることになる」
「あああああ」
その、何でも冗談のように振舞う癖が蔵馬を逆撫でしているのだ、と。
知ってか知らずかは頭を抱える。
もっとも、そういう反応は蔵馬の予想通りだった。
なので蔵馬は、予定通りににやりと笑う。
「……中途半端な人ですねぇ。何につけても。
人を欺こうとするんだったらまずは自分を完全に欺くべきだ。
自分で夢中になれない芝居なんて打つ価値はない。
オレは確信犯にしかならないよ」
それは余裕の溶けた優しい言葉なのか、或いは相手の予想通りの言葉なのか。
とにかく相手の思い通りになるのが気に食わない。
おそらく相手も似たような思考の持ち主で――
「……とんでもない悪魔を作り出してしまった……」
――だからそれが気に食わない。
こっちが笑っていても。
あっちが動揺を丸出しにしていても。
それでも本当に勝っているのか、わからないのが気に食わない。
勝たされるのは、負けるよりも気に食わない。
「そろそろ魂売りません?
おいしく食べてあげますよ」
ぎゃああ!
恐怖の骨頂と言った雰囲気の、色気のない悲鳴が上がる。
……もっとも、この短絡思考の持ち主がそんなことを考えているとも思えないが。
蔵馬はついつい考えすぎる自分の不幸を呪った。
「冗談です。
濁音で叫ぶ女性の魂なんて食べたら寿命が縮みそうだ」
もしがそこまで考えていないとしたら、かなりひどい態度だと……
そして性格的に、考えていない可能性の方が高いと……
蔵馬が気付いているかどうか、が恐らく黒蔵馬道場のキーポイント。
20061230