流しそうめんのように流される蔵馬さん

「わっ、わっ、わっ! 引っ張ってはダメです! 抜けちゃいます!」
「抜けるならいいけど、外れるのは切ないですね」
「でも外した方が洗いやすいですよ」

 今日も結局このネタに落ち着くのか……。
 うんざりして溜息をついた拍子に髪を引かれて仰向かされる。

「動かないでください! せっかく取ったところにまたトリモチがついちゃいます!」
「しまった! 抜けた! 貴重な一本が!!」
「……あの、後でシャワーを浴びますから別にいいですよ。そのままにしておいて」
 言ってはみたものの、誰も聞いている様子はなかった。

「ああもう! 癖っ毛なのにサラサラしてるから……」
「汚れていないところは三つ編みにしておいたら?」
 濡らしたタオルを片手に、彼女たちは薬にも毒にもならない話題で盛り上がっている。

「おさげの蔵馬サマ……」
「誰か、カメラ! カメラ!」
「写真撮影は事務所を通してください」
 喋ってごまかしながら片手で三つ編みを解いていると、カメラのシャッター音が響く。

「おお、良く撮れておるぞ」
「コエンマ様グッジョブ!」
「私にも送ってくださいね!」

 女性陣に取り囲まれて鼻の下を長くする彼の後ろで、黄泉が感心したようにスマホを覗き込んでいる。
「ほう、その様子だと撮ってすぐに見られるようだな。従来のカメラの画質とどのくらい違うんだ? フィルムはいらんのか?」
「黄泉さま、これはスマートフォンと申しまして、画像をデジタルデータ化するのでフィルムはいらないのです。レンズは裏側と表面の上部についておりまして、それが……」

「南野も変わったな」
 海藤がいつもの無表情で息をつく。
「丸くなったわよね」
「以前だったら髪の毛を触らせるなんて絶対しなかったでしょ」
「髪で四次元ポケットを隠してますもんね」

 潮が引くように彼女たちはテーブルのほうに戻っていく。
 オレは湿り気を帯びて絡まる髪を元に戻しながら、かしましい談笑を眺めた。

「よ、黄泉さま、お戯れを……」
「ちょっと黄泉さん、セクハラしないの」
「まあ黄泉さま! 私というものがありながら!」
「ヨミミミー!」

 ……やはり何か間違っているだろう、この絵面は。
 服が濡れないよう束ねた髪を手で掴んだまま固まっていると、押し殺した笑いと共に脇からタオルが差し出される。
「蔵馬さん、忘れ去られちゃいましたね」
「そうみたいですね。ありがとう」
 タオルを受け取って肩に広げる。

「黄泉さん、モテモテ……。昔からそうだったんですか」
「今も昔も女性に嫌われるタイプですよ、あれは」
「……聞かれちゃいますよ。耳がいいんですから」
 その小声に反応するように、黄泉はニヤリと笑う。
 いちいち癪に障る男だ。

「蔵馬さん、向こうでお茶を頂きましょ。みんな淋しがっていますよ」
「とてもそうは思えないんだけど……」
 オレの腕を引いた彼女は苦笑いを浮かべる。
「あーっ! 蔵馬! なに独り占めしてるの!」
「お嬢様、ふたりになるのは危険です。こちらへ。さあ、蔵馬さんもお茶をどうぞ」
 思い出したように何人かがこちらを振り向いて手招きする。
 或いは対応に困った彼女が目配せでテーブルの方にSOSを送っていたのかもしれない。

「どうぞ。アールグレイです」
「蔵馬ってば、まだあんなところにいたんだ? 黄泉さんに女の子取られて拗ねてたの?」
 別に拗ねていたわけではないが……。

 勧められるままにティーカップを持ち上げた瞬間、隣で背を向けていた美馬さんが笑い声を上げる。
「やぁだ海藤君、それは無理よ! だってここ蔵馬サイトだもん!」
 思わずカップの中身をその襟首に流し込んでやりたくなる。

 斜め前のソファではコエンマが膝枕で気持ちよさそうにうつらうつらしていた。
 オレは背を向け、窓の外を見ながら紅茶に口を付ける。
 爽やかなベルガモットの香りが涼やかな風のように鼻に抜け、驚いてカップに目を落とすと、水色も良く澄んだ美しい琥珀色だった。
 もしかして本職だろうか。
 振り返れば彼女はすでに美馬さんと並んで海藤たちと盛り上がっている。
 オレは窓の外の夜景に目を戻してその素晴らしい紅茶をゆっくりと味わった。

 本当のことを言えば女性の他愛のないお喋りは苦手だった。
 できればずっとこうしていたいくらいで、そういう意味では黄泉には感謝したほうがいいのかもしれない。
 しかし……。

「ちょっと蔵馬。なにをたそがれてるのよ! 空気読みなさい!」
 背中を向けたまま、じりじりと距離を詰めてきた美馬さんが小声で睨みを利かせてくる。
 ……まあ、そう言われるとは思った。

「さすがに疲れました。もう何時間喋っているんですか」
 思わず音を上げると、その女はようやくこちらに向き直る。
「おやおや? もう降参ですか?」
 にやにやと笑ってオレの袖口を引き、マヌケ面で寝込んでしまったコエンマの向かいのソファにオレを座らせ、隣に掛ける。
 コエンマのせいで動くに動けなかった膝枕の主は話し相手の登場に表情を輝かせた。

「寝ちゃったの? コレ」
「ええ」
「実は蔵馬も落ちかけだったから持って来たんだけど……こっちはまったりグループかな」
「まったり、いいですね。蔵馬もお疲れ?」
 オレがその言葉に答えようとすると、その前に美馬さんがブンブンと手を振った。
「まっさか! 何にもしてないもん。疲れようがない」
「そうですか? なにげに大変な目に遭ってましたよ。太巻きにされたり、油風呂に突き落とされたり、若菜さんを降霊したり、ズボン脱がされそうになったり、トリモチ団子に取り込まれたり、それから……」
「そうでしょう? だから疲れました」
「ね、何か飲む? 冷めてるでしょ、それ」
 思いがけない援軍に力を得て言い直したのだが、隣は聞いていたのかいなかったのか、立ち上がってキョロキョロしている。

「あ、私ワイン頂こうかな!」
「じゃあ私もー」
「ATOKの薬湯割などもありますぜ」
「薬湯がちょっと……誤字も増えるような……」
 テーブルからグラスとボトルを引き寄せるように奪取した彼女は、中途半端に突っ込んであったコルクを上機嫌で引き抜く。
 オレは横から手を伸ばしてボトルを受け取り、二つ並んだグラスに注ぐ。
 その僅かな合間にも女性たちの唇は休まない。

「若菜さん、今日はお酒飲むから16歳なんて言っちゃダメですよ」
「そうか……じゃあ今日はハタチってことで」
「では若菜さんとIIMのハタチに乾杯!」
 ふたり同時にグラスを持ち上げ、口をつけながらようやくこちらを見る。

「で、何だっけ? 学芸会の木の役で疲れたって?」
「木の役よりセールスマンの役の方が疲れました」
「あ、鮪拭く象さん!」
「どぉーん!!」
 どこかで見たようなポーズでオレの眉間を突いた美馬さんは、ケタケタと笑いながらグラスをサイドテーブルに置く。

「言ったじゃない。疲れることは素晴らしいことだって」
「何ですか?」
 向かいでは同じようにグラスを置いて身を乗り出してくる。
 膝に角度が付いてコエンマがイビキのような音を立てて息を吸った。
「ここを始める前に蔵馬を引っ掛けに行って、そういう話をしたの。あのときはこの人、全然生気ってものを感じさせなくてさ。『人間界の普通の人間の日常生活で起こることなんてつまらなくてチョロいことばっかりだと思ってるんでしょ』って言っても否定もしないのよ」
 風向きが悪くなってオレは少し横を向く。

「人間界では魔界みたいに即に命につながることってなかなか起こりませんもんね」
「安全面ではね。安心して寝られるし、普通に生きていれば食いっぱぐれもないし。たださ、例えば学校に行って一番疲れることって何? 体育の授業やクラブ活動? 授業の内容を理解すること? 通学の移動? 掃除? それとも友達付き合い?」
 ズラズラと並べられ、彼女は口元に指を押し当てて思い出すように天井を見る。
「ああ、なるほど……私は運動部だったから、口に出して『疲れたー!』って一番言ったのは部活動でしたけど、心の底から湧き上がる口に出せない『疲れたー』って、たいてい誰かと話した後だったかも。怖い先生とか、苦手な先輩とか、そんなに親しくない子と一緒にいなければいけなかったときとか……仲良しグループの雰囲気が微妙になっちゃったときはインハイ前の猛特訓以上に毎日がしんどかった」

 美馬さんは膝に肘をついて頬杖をするように身を乗り出す。
「じゃあ、高校時代、と言われて思い浮かぶのは?」
「やっぱり、部活動と友達との時間です」
 美馬さんは身体を起こすとグラスを手に取り、したり顔で斜めにオレを見る。

「ね? 疲れるってことは逃げずに頑張ったってことなのよ。溺れるのが怖いから水泳の授業は常に見学する……別にそうやって逃げても卒業はできるけど、世界を広げたいなら、とりあえず溺れとけって話。溺れてたら誰か心配してアドバイスしてくれて、一生の友達を手に入れちゃうかもしれない。泳ぎの楽しさに目覚めてオリンピックに出ちゃうかもしれない。溺れて死に掛けているところに人工呼吸して助けてくれた誰かと恋に落ちちゃうかもしれない」
「体育の授業だとすると人工呼吸は同性同士になる可能性が高いかも?」
「BLに目覚めちゃうかもしんない!!」
 キャアキャアとグラスを傾けるふたりから顔をそむける。
 確かにそんなような話はしていたかもしれない。
 しかし夢サイトなのにBLでそこまで興奮するのは間違っている。

『そうそうあんなことは起こりません』
 思わず呟いたオレにその女は言った。
『あるよ、いっぱい。スルーしちゃっただけ』
 地に足をつけろと彼女は言った。
 目の前のものに真剣に向かい合わないから夢中になれるようなものに巡り会えないのだと。

「ぬぁっ! 光った! いま光ったよね!?」
「すごい! 寝ながらスーパーサイヤ人化なんて悟空でも無理です!」
「んごっ……悟空……早く……来て、くれー……」
「え……? 若菜さん、もしかしてこれは!」
「クリリンのことかー!!」
 真剣に目の前……のコエンマの半開きの口にワインを流し込んでいたふたりは、またわけの分からない人生の楽しみを見出したらしい。
 おめでとう、とでも言ってやるべきだろうか。

 冷めてしまった紅茶を飲みほしたとき、美馬さんがこちらを振り向く。
「わ、やば! ちょっと蔵馬! これ持ってて!」
 オレはカップをソーサーに戻して立ち上がった。
 ワインをこぼして大騒ぎする美馬さんの逆側で、ただでさえ大きい目が真ん丸になってオレを見た。
「……意外。蔵馬がこんなことに乗ってくるなんて」
 オレは肩に掛かっていたタオルを引き抜いて美馬さんに投げつける。
「まあ……基本的に受け身なので」

 ――その女はこうも言っていた。
 『やっぱりあなたは振り回されてナンボよ。ああいうハチャメチャなのに付き合っていたら、また勝手に新しい世界に連れて行ってくれるわ』
 新しい世界とやらが素晴らしい世界だとは、確かに彼女は言っていない。
 が、たまに面白いこともなくはなかった。



20251228