その言葉は聞いたことのない外国語のようだった。何を言っているのかさっぱり分からない。
 そのくせ無遠慮に心をかき乱し、きれいに整頓したものを片っ端から崩していく。

 この状態にするまで何年かかったと思っている。これをひとりで片付けろというのか。
 得体のしれない怒りを感じながらも、信じられないようなことを考えていた。
 ――頼むからこっちを見ろ。何でもいいから喋ってくれ。

phase 3

「お腹減りましたね」
「は?」
 唐突にそのようなことを言われ、つい怒気を含んだまま聞き返してしまう。
 さすがに彼女も驚いたのだろう、目を丸くしてこちらを見ると、気まずそうに笑った。

「怒らないで。さすがに私が口を出すことじゃありませんでした」
 言いながら、オレの視線から逃げるように立ち上がる。
「お母さん、きっと心配してますよ。早く帰ってあげて。私ももう大丈夫だから……よいしょ」

 徹底してマイペースに会話を切り上げ、バッグを持ち上げる彼女の横顔に慌てて聞いた。
「どうしたらいい?」
 言葉を選んでいる余裕もなかった。

 案の定、彼女は鳩が豆鉄砲を食ったような顔でこちらを見る。
「……どちらさま?」
「南野ですが」
 ここまで来たら開き直るしかなかった。こんな屈辱的な気分は味わったことがない。

 しばらくポカンとしていた彼女は、声を出さずに笑い出すとバッグを肩に掛ける。
「もうちょっと貪欲になってみたらいいのでは? 人間らしく」
「欲の出し方が分かりません」
「趣味を持ってみるとか」
「興味の持てるものが見当たりません」
「彼女を作ってみるとか」
「戦争が起こります」
「……言うわね、色男」
「学校という場所で学んだことの大半は女性の恐ろしさです」

 彼女は腕組みをして空を見上げる。
「じゃあ、休みの日は部屋に閉じこもって本なんて読んでないで、幽助君でも誘って出掛けるようにしたら?」
 ようやく口を閉ざしたオレに安堵したように彼女は笑った。

「やっぱりあなたは振り回されてナンボでしょ。ああいうハチャメチャなのに付き合っていたら、また勝手に新しい世界に連れていってくれますよ」
「……パチンコ屋でそれを見つけられるでしょうか」
 オレの呟きに、彼女はついに声を出して笑い始めた。
「幽助君や桑原君と並んでくわえ煙草でパチンコ打つ蔵馬かー! あっはっは! 私、そんな光景見たら一週間は笑い続けちゃう。こっそり覗きに行くから、そんなことになったら呼んでくださいね」
「お断りします」

「あ、ハンカチ借りて行きますね」
 彼女はバッグの口に引っ掛かっていたオレのハンカチをヒラヒラと振った。
「洗って、返しに来るから」
 そう言ってにんまりと笑う。

「幽助に丸投げするくらいだから諦めたのかと思いましたよ」
「んん? 心配してました?」
「返しに来なくていいです。そのまま持っていてください」
 オレは立ち上がって伸びをする。本当に疲れた。
「いいえ、返しに行きます! 今度こそうんと言わせてやるんだから!」
 ぎゃんぎゃんとわめく彼女を少し振り返って腕を下ろす。
「いいえ、来なくていいです。オレが取りに行きますから」
「いいえ、行くったら行……ん?」

 キョトンとする彼女の顔を横目で確認し、今度はこちらが笑い出したくなるのを押し隠して横を向く。
 実に良い反応をする人だ。
「幽助も大概ですが、オレをここまで疲れさせた人間はあなたが初めてです。あなたならさぞかし自分勝手に好き放題オレを振り回してくれると思います」

 そう言って振り向くと、彼女の姿はなかった。
 首を傾げた途端、足元から不気味な呻き声がわき上がってくる。
 驚いて見下ろすと、再びしゃがみ込んだ彼女が両手で顔を覆って肩を震わせていた。

 ……結局泣かれる運命だったのか。
 溜息をつきながら隣にしゃがみ込む。

 押し寄せる暗闇の中、だんだんと後悔が強くなってくる。
 人間で、変人で、しかも女性と来たら宇宙人と大差ない。

「あの……」
 口を開いた瞬間、鼻先を勢いよく腕が通り過ぎる。
「ばんざーい! ばんざーい! ば……」
「やめてください。警察を呼ばれます」

 制止しようと腕を伸ばし、異変に気付く。
「これは……」
 見覚えのある、独特な色の学ランの袖口に驚き、座っていたベンチを振り返ると通勤用のカバンが学生カバンに変わっていた。
 慌てて立ち上がり、ポケットを探ると、携帯電話はポケットベルに、財布の中にはこれまた懐かしいテレホンカードと図書券が差し込まれている。

「うふふ、実はもう長編の構想は決まっていて、あなたは高校生の設定なんです。懐かしいでしょう? その制服」
 嬉しそうに頬を染める彼女を注意深く観察した後、もう一度ベンチを見る。

 彼女自身も、その身なりや荷物にも変化はないし、携帯電話もそのままだった。
 あれから10年以上経っていて、当時はまだ携帯も普及していなかった……ということは時間が逆戻ったわけではなさそうだ。

「あの、これ……オレ、家に帰ったら家族に驚かれませんか」
 両腕を軽く広げて見せると、彼女はズザッと後退って尻もちをつく。
「ウェルカムポーズ……?」
「違います。制服の話です」

 冷たく切り返すと、彼女は立ち上がって深々と頭を下げた。
「あなたの世界と時間は私がいただきました。私が書くことをやめない限り、あなたは私が用意した世界で生きることになります」
「……は?」
「つまり、先ほど話した長編だったらあなたは高校生になりますが、気分を変えて会社員、マイホームパパの秀一くんを書いたりしたら20代、30代になったりします」
「え……」

 そんなうまい話があるだろうか。「神様」とやらの仕業にしたってサービス過剰もいいところだ。まるでオレの心を読んでいたように……。
「とはいえ、オトコは若ければ若いほど良いので基本的に高校生だと思いますが……」
 なるほど、その代償がこの変人に付き合うことか。

「……オレは何をしたらいいんですか?」
 彼女は再びこちらを向く。
「普通にしていてくれれば」
「……ちょっとよく分からないんですが……」
 身体をこちらに向けた彼女は片肘をてのひらで包み、空いている手の指を立てて顔の前で動かした。

「んっと……私がお話の舞台と基本的なシチュエーションを用意しておきますので、あなたはそこに行って適当に他の登場人物と過ごしてくれれば。ああ、長編は心細いだろうし、できるだけお仲間共演者を入れるから安心してください。ちなみにNG共演者は?」
「黄泉」
 その口元がピクリと引きつる。
「ああ……ああ、そうねえ。うん、そうよね。うん、黄泉はね。うん……えっと……あらすじや言ってほしい台詞やラストシーンは最初に伝えておくけれど、別にその通りでなくてもいいです。思った通りにやって、話してくれればそれで。ただ、ヒロインは読者さんの名前を借りるから、失礼のないようにお願いします」

 仕事の打ち合わせでもするような事務的で早口な説明を焦って遮る。
「ヒロインがいるということは恋愛要素があるんですか?」
「最初に言ったでしょう。乙女に夢を見せて欲しいって」
 いけしゃあしゃあと放たれた言葉に頭痛がしてくる。

「さっきまでの話と矛盾しているでしょう。そういうことならもっと成熟した人格の誰かに任せた方がいいです」
「何故」
「オレは他人を幸……」
 彼女の唇が丸きりオレと同じ形で動くのを見て言葉を飲み込む。
 重なって出た言葉は結局彼女がひとりで最後まで言い切った。
「……せにすることなんてできません?」
 気味が悪くなって口を閉ざすと、彼女は腕を下ろして一歩こちらに近づく。

「幸せにしようとか幸せになろうとか頑張らなくていいの。蔵馬がいてくれればそれでいい。後は何とかするから。別に丸投げしようって意味じゃなくて……私を信じてくれると嬉しいなあ、なんて」
「つまり、オレが何を思って何を言うかなんて簡単に想像がつくということですか?」
「怒らないで」
 彼女は笑いながら顔をそむける。
「そういうことじゃなくて……いや、確かに相当分かりやすい部類ではあるんだけど、むしろ逆で」

 伺うように横目でこちらを探る視線にぶつかると、くるりと背中がこちらを向く。
「私も振り回されたいの。……振り回されるならあなたがいい」
 どういう意味か分からずに黙り込むと、重苦しい沈黙が流れる。

 しかし次の瞬間には、彼女が向こうを向いたままガッツポーズを取って自力でしじまを破った。
「そうよ! どうせなら鼻血吹くほど飛び切りの美少年! 本当に吹けるほど強烈だった!」
 褒めているつもりだろうか。それともバカにされているのだろうか。
 その背中に穴が開くほど凝視しながらオレはますます黙り込む。

 ひとりでひたすら騒いでいた彼女は、いい加減飽きたのか疲れたのか、ネジが切れたように静かに腕組みをし、深い息をつく。
「……じゃ、そゆコトで」
 身体の向きはそのままに、身をかがめるようにして顔だけこちらに向けると片手を挙げる。
「どういうことですか」

 戦いの最中に敵の弱点に気付くとき、あれこれ分析して辿り着くときと、天の啓示のように降りて来るときとある。
 そういう、本能的に感じるサインのようなものがあるのだ。
 案の定彼女はギクッとしたように立ち止まり、焦れたように横顔を見せた。

「どうって、そういうことです。契約完了」
「そうか、そうですね。それじゃあ」
「……なんでしょう?」
 オレはズカズカと距離を詰め、差し出した手を少し上げる。

「契約なら、契約書もないようですし、ユダヤ商人風に握手でも」
 彼女は戸惑ったように手を見下ろすと、渋々こちらに身体を向ける。
「それとも指切りの方がいいですか?」
 小指を立ててみせると、慌てたように手を掴まれる。
「マザール!! ダイヤ売ール!!」
「だいぶ顔が赤いようですが、熱でもあるんですか」

 本当はむしろ青ざめていたのだが、言った瞬間インクでも吸い上げたように紅潮していく。
「それとももしかして恥ずかしかったんですか? 何でしたっけ、振り回されるならあな……」
「わーっ!!」
 大声で遮る彼女を見ながら、不思議と魂と身体がつながっていくような感覚を感じていた。

 自分の心臓が動いていること、肺が空気を取り込んでいること、この身体の体温……数十兆もあると言われる細胞ひとつひとつはオレが意識して動かさなくても働いている。
 オレは人間のこの身体を意外と当たり前に器用に使っていて、オレの魂は意外と当たり前に不服もなくそこに収まっていたのだ。
 こうしてこみ上げてくる笑いを抑えることに苦心するほど楽しむことができたのだ。
「思いのほか楽しい毎日になりそうです」
 オレは手を引っ込めて背中を向ける。



 一歩、また一歩。踏み出す道はいつもと同じ帰り道だと思う。
 しかし目の前に広がる夜景も夜空もただ黒いばかりでなく、輝く明かりも星も白一色ではなかった。
 一見味気なく、よく見ればおもちゃ箱のようだったその景色に紛れながら、ひとりで肩を震わせて笑う。
「――飛んで火に入る夏の虫」
 もちろん「虫」はオレのことのつもりだ……が。

 そもそも昔から金や権力になど興味がなかった。ただ面白いから盗んでいた。
 薄汚れた街灯に虫が体当たりするたび、鱗粉なのか埃なのかキラキラと光の粒が生まれ、七色に輝く。

 彼女に会いに行くのは、ハンカチや幸せが欲しいわけではない。
 面白そうだから、本当はただそれだけだ。


...coming soon


コエンマ「このサイトも20周年か。早いものだな。それもこれも応援してくれた皆のお陰だ。ワシからも礼を言うぞ」
ぼたん「本当にねぇ。感慨深いねぇ。みんな、ありがとね」
幻海「ありがとよ」
コエンマ「しかし何だな。この時点でもう蔵馬は下剋上を果たしていたんだな」
ぼたん「黒蔵馬爆誕ですね……蔵馬……恐ろしい子……!」
幻海「ハン。そこいらの人間があの古狐に勝てるわけがないだろうがよ。アタシから見たって、まだまだ尻の青い小娘だよ」
ぼたん「それさんに言ったら喜んじまいますよぉ」
幻海「……確かに、アレに『娘』は無理があるか……なんだい、外が騒がしいねぇ」
コエンマ「おい、が暴れとるぞ」
幻海「蔵馬並の地獄耳だね。蔵馬は宇宙人とか何とか言ってたが、立派に妖怪だろ」
ぼたん「そんでも最近はモスキートーンが聞こえなくなったらしいですよ。お陰でこの夏は蚊に刺されまくって……」
ドンドンドン!
ぼたん「おっと、つるかめつるかめ」
コエンマ「そろそろ指名手配妖怪リストに名が乗るな」
ぼたん「ところで、私、ちょっとわからないことがあるんです」
コエンマ「ん? なんだ?」
ぼたん「話の途中で、蔵馬は高校生に戻ったのに、さんはそのままだったシーンがあったでしょう? あれは違う次元に移動しちゃったってことなんですか? そもそもこの話は蔵馬の世界にさんが現れたのか、それともその逆なのか、私にはさっぱりで」
幻海「次元は同じだろ。ふたりとも一応人間界で生活しているからな」
ぼたん「んんん?」
コエンマ「パラレルワールドというやつだ。そもそも蔵馬とは同じ世界には存在していなかったが、この話の中では共存している」
ぼたん「なんでですか?」
コエンマ「がそういうパラレルワールドを書いたからだ」
ぼたん「するってぇと、さんは能力者?!」
幻海「いいや、あいつはただの普通の人間だ」
コエンマ「ああ。というより人間の能力だ。すべての人間には想像力がある」
ぼたん「えっと……つまり、さんの妄想世界ってことですかい?」
コエンマ「まあ、そうなるな。だが、この世界と同等の世界とも言える。パラレルワールドは『もしも』の世界だ。もしもが蔵馬に会いに行かなかったら、もしも蔵馬がの誘いを断っていたら、もしも蔵馬がの原案を却下していたら……選択肢は無数にあり、そのたび並行世界が生まれている。その無数の世界のひとつがこの話、ひいてはこのサイトというわけだ」
幻海「まあ……正確にはこの話もサイトもメタフィクションの世界だがな。蔵馬だけが高校生に戻ったのは、蔵馬がペットシリーズというパラレルワールドに入ったからだ」
ぼたん「???」
幻海「要するにこのサイトは夢と現実の中間に位置してるのさ」
ぼたん「私には何が何やらさっぱり……他のサイトもそうなんですか?」
コエンマ「まあ、キャラがサイトトップで挨拶したり、拍手の礼を言ったり、コメントに返事したりしているところはそうなるな。ここほど出張ってくるサイトも珍しいだろうが」
幻海「あいつが管理人じゃ仕方ないさ。サボれるだけサボろうとするからな」
コエンマ「まったく好き放題やりおって、界境警備隊に目を付けられたこともあったわい」
ぼたん「ああ……しょっちゅう魔界と界境つなげちまったりしてますもんね」
コエンマ「いや、の現実世界で蔵馬の姿を見てしまった者が現れたのだ」
ぼたん「それって茶室と魔界をつなげることよりまずいことなんですか?」
コエンマ「さっきも言った通り、蔵馬とが共存できるのはI'm in the moodというパラレルワールドの中だけだ。そしてパラレルワールド同士は決して交わらない。にも関わらず蔵馬がいないはずの世界にヤツが現れてしまった。これはもう霊界の管轄下だ」
ぼたん「ええっ? 結局どうなったんですか?」
コエンマ「いざ出動してみたらの憑物が多すぎてどれが蔵馬かわからなかったらしい」
幻海「ありゃあすごいからな。暇だから数えてみたが7千を過ぎたところで飽きちまったよ」
ぼたん「私たち案内人も歩くお化け屋敷って呼んでますさね。行方不明の霊がいるときは真っ先にさんのところに行きますもん」
幻海「一気に連れてったらいいじゃないか」
ぼたん「何度か挑戦したんですけどね。一晩たったら別の霊が元通りごっそり」
コエンマ「案外、蔵馬が原因かもしれんな。全部女の霊でだな」
ぼたん「……」
幻海「……」
コエンマ「……」
ぼたん「師範ー! 何とかならないんですかい?!」
幻海「憑依体質は文字通り体質だ。修業したからどうなるってモンじゃない」
コエンマ「やはり蔵馬を引きはがすのが手っ取り早いのでは……」
ぼたん「そんなことして、もしさんが書けなくなったらどうするんです? カイカノには霊界編があるんですよ? コエンマ様、見せ場いっぱいあるんですよ?」
コエンマ「何ィッ!? ……おい、あやめ! あやめ!」
幻海「おい、何を必死に書いてるんだ?」
コエンマ「蔵馬をの守護神に登録するのだ。そうすれば存在できる」
ぼたん「ええっ?」
コエンマ「蔵馬は千年越えの、それも狐だからな。おまけに妖狐姿は見た目もピカピカしていて神々しい。神獣の要件は満たしとるだろ」
幻海「おい、そういうのを職権濫用というんじゃないのかい」
ぼたん「気の毒になってきたよ……どっちがとは口が裂けても言えないけどさ……」
コエンマ「そう悪い話でもあるまい。稲荷神は五穀豊穣、商売繁昌、何でか知らんが安産や縁結び、家内安全まで謳っとる神社もある。蔵馬も狐なら似たようなご利益があるだろう」
ぼたん「暗号解読が得意になるとか……」
幻海「どうせなら海藤でも憑ければ更新も早くなるだろうに」
コエンマ「……よし、頼んだぞ。界境警備隊にも一応コピーを届けておいてくれ」
あやめ「かしこまりました」
ぼたん「あーあ、やっちまった……」
コエンマ「何を言っとる。もようやく不運を抜け出せるに違いあるまい。睡眠時間を削ってこの話をリライトしたご褒美じゃ」
ぼたん「あ、この話、まだ続きますよ」
幻海「なんだ、終わりじゃないのかい。それなりにまとまってるじゃないか」
ぼたん「次で最終回だそうですよ。20年後の話だとかで……。なんでも『蔵馬が大サービスしてくれるから、ぜひ名前変換(正ヒロイン苗字)して読んでね!』ってことらしいですよ」
コエンマ「大サービス……?」
幻海「裸踊りでもするのかね」
ぼたん「そいつは秘密さね! みんな、最終話、ぜひ付き合っておくれよ!」


※このあとがきは名前変換できます。「それいいな」と思った方は正ヒロイン名にお名前を登録してください。どんなご利益があるかは不明です笑

20251029